2000年から5年間、アメリカにいたんですが、音楽を聞く機会が多かったです。
安く音楽や文化に触れられたと思います。
海外の美術館や博物館、それほど入場料金が高くなくて無料のところも多かった。
一番高いのは日本じゃないだろうか、と思うくらい日本で音楽や文化に触れるにはお金がかかります。
アメリカでのジャズの思い出 50代セミリタイア想いをはせる
わたしが住んでいたオレゴン州ポートランドは芸術の街といっていいくらいいろんな催し物をしていました。
中でもジャズフェスティバルが毎年催され、そのときはいろんなライブハウスでいろんなジャズミュージシャンが演奏していました。
たまたま日本人ジャズピアニストの小曽根真さんがそのジャズフェスティバルに出演される年にめぐりあって、友人たちと一緒に聞きにいきました。
小曽根真さんだけでなく彼の師匠であるヴィブラフォン奏者のゲイリー・バートンも出演されていました。
ゲイリー・バートンといえば先日2月9日に亡くなったチック・コリアとずいぶん長く共演していたんですよね。
経歴も長く、アメリカではゲイリー・バートンは有名なジャズ奏者。
でも小曽根さんもすばらしいプレイで、とても楽しめたことを覚えています。
演奏が終わって、彼らのCDを買ったらサインがもらえる、と聞き、わたしは小曽根さんとゲイリー・バートンのCDを1枚ずつ買いました。
その時に小曽根さんとお話でき、意気投合して一緒にお寿司屋さんに行くことになりました。
小曽根さんはわたしと同じ神戸の出身。
アメリカに来る前から彼のことは知っていたのでいろんな話が聴ける、と喜んでいました。
一方、小曽根さんのお師匠さんのゲイリー・バートンは?
お寿司屋さんにお誘いしたけれどやんわりと断られました。
「今晩はちょっとひとりになりたいんだ」
どうして?
「僕の友人の晴れ舞台なんだ」
そう、その日はチック・コリアがグラミー賞を受賞する日だった。
チック・コリアに会えてよかった 50代セミリタイア想いをはせる
チック・コリアの演奏もアメリカで聞く機会がありました。
彼の長年の友人であるハービー・ハンコックとの共演。
その頃チック・コリアもハービー・ハンコックもちょっと即興音楽に傾倒していて、わたしはよくわからない分野だったけれど、楽しかったのは覚えています。
そして日本に帰国してからもブルーノートでチック・コリアの演奏を聞き。
以前からの名曲を演奏してくれて楽しかった。
アメリカでの思い出が強くて、チック・コリア、というとゲイリー・バートンのことが思い出されてしまう。
紳士でインテリジェントなゲイリー・バートン、そしていたずらっ子のようなチック・コリア。
チック・コリアはまだ若かったですが残念ながら旅立たれてしまった。
ゲイリー・バートンはずいぶん悲しんだだろうな、と彼のことをすぐに思い出しました。
二人の最高の演奏が詰まっているアルバムは今でも聴き飽きないです。
ラテンの要素がつまった名曲。
アメリカでの思い出とともに何度も繰り返し聞いています。
「クリスタル・サイレンス チック・コリア&ゲイリー・バートン」
ひとの心身を植物で癒やす。
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