どれくらいみなさん、転職されているのでしょうか。
一度もない、何度かある、いろいろですよね。
わたしは2ヶ月以上続いた勤務先が8つあります(アメリカでの経験も入れています)。
そのほか1ヶ月単位で働いたところも2つくらいあり、働きながら自分一人で別の仕事をしていた時期もあります。
いままでの職歴を振り返る
大卒後
大学を卒業して入職したのはあるメーカー。
7年間勤めて前夫の都合で辞めました。
関西で勤務していて前夫(わたしとは違う会社)が関東に転勤というのでそれに合わせて一度東京に転勤させてもらいました。
前夫とは違う会社なのに転勤させてくれる、社員のことを考えてくれる良い会社です。
その後ふたたび前夫が関西に転勤になり前職場に戻るときは、さすがにわたしは転勤はできなかった。
大卒の何も知らない新入社員のときから7年間、ビジネスマナーや営業のこと、ひととの出会い、いろんなことを学ばせてくれた素晴らしい会社です。
園芸店
そのあと園芸店に6年間パートで勤めましたが、また前夫の転勤があり辞めています。
同時にフラワーデザイン教室を自分でやっていたけどこれもたたむことになった。
フラワーデザイン教室、軌道に乗っていたのでとても残念だったのですが、前夫のアメリカへの赴任、5年はとどまるだろうという話だったのでわたしもついていくことに。
アメリカで
アメリカに渡って以前に書いたようにラッキーにもアメリカで花の仕事のお手伝いができ、
アメリカにいる間、約5年間、ほぼ毎週末働いていた。
帰国後
その後、日本に帰国しライフワークである園芸療法を高齢者施設で行ったりカルチャーセンターで教えたり。
その後、考えるところがあって介護の仕事をしながら園芸療法をするため老健にパートで6年間勤めました。
その間、夜間の専門学校に4年間行って作業療法士になり、別の老健で作業療法と園芸療法、どちらも5年間やっていました。
ここがライフワークをするには一番理想的な職場でしたが、園芸療法の実践を制限される方向になり、残念でしたが辞職。
セミリタイアへ
その後は園芸療法のできる場所を求めて九州の病院に行ったりエステシャンになったり^^;寄り道して老人ホームへ2年半勤務。
ここでは機能訓練指導員+園芸療法もできたけど、別の分野も見てやろうと訪問リハビリ2ヶ月、そしてデイサービスで機能訓練指導員1年半。
どこにいっても園芸療法をリハビリとして確立することのむずかしさを実感し、2019年9月に退職、セミリタイア。
なぜこんなに転職したか
こうしてながめると転職をいとわない、わがままなわたしの生き様がよくわかります^^;
前半は家庭の事情で転職せざるを得なかったけれど、後半は自分の意志で転職。
ステップアップしていったわけではないけれど、いろんな職場が見れたし、良い悪いはともかくいろんな体験ができた。
わたし自身、ひとつの職場にずっといることは向いていない、そもそも多くのひとたちと一緒に仕事をすることが好きではない。
結局、ライフワークである園芸療法を自分の思う通りにしたいのであれば、自分で独立しなければ無理なんだなということがよくわかりました。
ひとを動かすことは容易ではないし期待は禁物。
いまはひとりで仕事を請け負ってひとりで仕事をし、完結するのでいままでで一番理想的な働き方をしている。
ただ、いただいてきたお給料にはまったく届きません、確定申告する必要がない程度、ほぼボランティアベース。
それができるようになったのはいままでいただいたお金を貯めて運用しセミリタイアできたからです。
いままでの仕事、点が線になる
職場を転々としているけれど、いまながめると点は線になっていてどの職歴にも意味があった。
すべては「自分で好きなことを仕事をする」ための助走、しかし軌道にのるまで前準備は何年もかかりました。
好きなことを仕事にする、独立する、すぐに形にできるひともいるかもしれませんが、わたしの場合、ひとと知り合いになりつながったりコネクションを育てるのに時間がかかりました。
それでもいま、好きなこと、仕事は自宅でできるし毎日同じ時間に出勤、長い時間拘束されることはない。
住むところがあり食べていくことができるからすべての仕事を請け負う必要はない、自分で仕事を選ぶことができる。
学校を卒業してから仕事をし、そのかたわらお金を貯めつつ独立して好きを仕事にする準備をしたことで自分ペースの生活が送れています。
わたしは行動が遅くずいぶん時間がかかりましたが、セミリタイア、独立、そのための貯蓄・資産運用、どれも早ければ早いほど良かった、といまなら思えます。
いまこの一瞬が一番若い、いまできることから始める。
わたしもこれからも楽しみながら好きなことにトライしていきます。
vlogでは日々の暮らしをつづっています。
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