努力すれば報われる。
頑張ればなんとかなる。
継続すれば成功する。
そんな言葉もあります。
だけどどうにもならないこともある、歳を重ねるにつれそんな経験が増えることも事実です。
叶えられなかったこと
わたしには子供はいません。
いない、というか、できなかったのです。
最初の結婚は24歳から48歳まで続きました。
結婚して数年経ち、どうやら子供ができそうにない、と思って自ら通院し始めたのが20代後半。
検査をした結果、
どうやら自然には授からないようだ。
と言われました。
ショックでしたが、その時、わたしは本当に子供が欲しいのだろうか。
と、何度も何度も自問自答しました。
前の夫は「わたしが望むならば不妊治療に協力する」と言った。
「わたしが望むなら」。
子供を作る、作るための治療はわたしの意思に任された。
夫婦の問題なのに。
そのことがずっとわたしを苦しめるようになった。
もっと素直に腹を割って前の夫と話し合うべきだった。
しかし夫はその頃仕事が忙しく、残業続きで帰宅も12時前など、土日も出社する多忙さでした。
それでも遠慮せずに話し合えばよかったのですが、
わたしは若かった、幼かった。
以前ここにも書いたように母との関係性もあまりよくなく、不妊のこと、治療のことを話すこともしなかった。
結局不妊治療を数年行い、人工授精を数回行いましたが、一度も授かることはありませんでした。
5年間ほど治療を続け、迷いに迷ったあげく、不妊治療をやめることにしました。
これも自分の意思でやめました。
仕事をしながら毎月遠くまで、排卵前には毎日通う、そんな暮らしに疲れた。
夫に言っても夫は「わたしが望むならやめてもいい」。
また「わたしが望むなら」?
あなたの意思は?
問うても答えはなかった。
その後、しばらくノイローゼになってしまった、涙が止まらず、孤独感が強くて一人でいることが不安でたまらない。
夫に仕事を休んでそばにいてほしいと言っても無理でした。
わたしは本当に子供が欲しかったのか、みんなが子供を産んでいるように自分もそうしたいのか、それはエゴではないのか。
何度も自分に問いかけ、責め、意見も何もない夫に失望し。
人生、望んでも、努力しても叶えられないことがある。
手に入らないものがある。
その時のことは思い出さないようにしていますが、忘れることはない。
一生その思いを抱えて生きていく。
春、芽吹く時期になるとそんなことを思います。