夏、亡き義父を思い出す 最期はどうありたいか

 

義父の介護を終わって思うこと

いまから5年前の夏、2019年8月23日に義理の父をわたしたち夫婦で看取りました。

この頃になるといつも義父のことを思い出します。

8月、義父の命日 あの頃を思い出す

義父は認知症でした。義母がなくなってからその症状が加速していったと思います。

最期を迎えるまで、5年間くらいは介護が必要でした。

少しずつ認知症がすすんでいって、できることが少なくなっていき、自分の住所はもちろん名前も言えなくなって発語がほとんどなくなった。

できるだけ自宅で介護したかったけれど、だんだんと徘徊や昼夜逆転、トイレの問題などが深刻になり、わたしたち夫婦だけでは面倒見きれなくなりました。

そのため、デイサービスと併用してショートステイも使うようになりました。

 

2019年8月末、ショートステイ先から連絡があり、義父の様子がいつもと違う、と。

血圧が異常に下がっているのでいまから救急搬送します、と告げられ、わたしたち夫婦は病院へ。

 

腸閉塞を起こしていたことや多機能不全もあり、ICUで一晩過ごし、翌朝、わたしたち夫婦が見守るなか、静かに息を引き取りました。

最期の迎え方 自分たちの行く末を思う夏

わたしたち夫婦も60代、やはり自分の最期を想像することもある。

どう旅立っていきたいか。

義父のように誰かにそばにいてほしいだろうか。

 

夫はわたしに看取ってくれ、と言うけれど、そんなうまくいかないかもしれない^^;

義父のように死ぬ間際には誰かにいてほしい、と思っているのかな。

 

わたしは。。

まだよくわかりません。

よくわかりませんが、これからのことを考えると、孤独死も視野にいれてはいます。

 

孤独死という言葉は日本ではすっかりなじんでしまい、いまはもう自然に感じるほどにあたりまえのこと、鈍感になってしまっている。

でも、逝くときはだれしも一人なんですよね。

だれかと一緒に逝く、は不可能。

 

孤独死が嫌だから結婚したい、という若い人のインタビューを聞いたことがあるけれど、結婚してたって孤独に逝くケースなんてたくさんあるはず。

結婚していて妻や夫、子どもがいても最期を看取られるとは限らない。

高齢でも若くても、いつ逝くか、誰にもわからない。

 

「いつそのときがきても悔いはない」、そう思ってはいます。

「良く生きたなぁ。でも、まだ楽しむぞ」とも思っています。

 

延命措置はとらないでほしい、逝ってしまったらそのあとどうしてほしいか、夫には言っています。

夫の意向も聞いています。

暑い夏、この時期はどうしても生き死にのこと、考えます。

 

 

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