先日、86歳の父親と電話をして、母親との折り合いがいまだに悪い、さらに悪くなってる、ということを聞きました。
それとなく父親に「終活とかどうしてる?お墓のこととか考えてるの」と聞いてみた。
終活なんてまったく考えてない両親
そうしたら、あいかわらず、です。
父親いわく、「まだだいじょうぶやで」。
どう思います?
これが86歳の父親の言葉か、と。
思うに、父親も現在86歳である自覚がないんだろうなあ。
わたしが60歳になったこと、そんなに月日が経ったのかぁと思うように。
母親とは話せませんでしたが、部屋の片付けなどをしてものを減らしている、と聞いた、それは何年前だったか。
母親なりに終活しているのかなと感じていましたが、いまはどうなっているかわかりません。
なんだかお墓どうのこうの、と両親に聞くのも馬鹿らしくなってきました^^;
急に亡くなったとしてももう瀬戸内海に撒いてあげればいいんじゃないかと思う。
実は、両親は40代か50代くらいのときに一度お墓を買っていて、あまりにもそこが田舎すぎたので手放しています。
つまり、墓はいらない、ってことですよね。
もうそういう象徴はいらない時代。
両親のお骨の一部を自分ちに置いとくとか、そういうのでいいんじゃないかと。
わたしもそうしてほしい、というか、わたしが産んだ子どもはいないのでそっくり山に撒いて土に返して欲しいと思う。
両親の終活に関することはわたしはもう何も聞かない、言わないことにしました。
わたし自身の終活は、PCの中にあるからわかる人にはわかる。
わたしのあとに残るひとは数少ないけど、まわりが困らないようにだけはしておきたい。
ゼロで死ぬ、なんてとうてい無理だから、火葬代と家の片付け代は残しときます。
毎日の暮らし、vlogでつづっています。