最近のネットニュースを見ていて愕然とした記事があります。
今はそうなんだ。。と思うと同時に、なんだかたいへんな、そして寂しい時代になっていくのかな、と感じます。
「友達の家に遊びに行く」ことで救われた小さい頃のわたし
記事によると、知らない子、友達の家に自分の子どもが約束なしに遊びに行ったことがわかって、遊びに行った子の母親が「すみません、知らなくて。二度と遊びに行かせませんから」とその家の親に謝った、という内容でした。
昭和世代ドンピシャのわたしにはびっくりな記事でした。
わたしは小さい頃から母と折り合いが良くなくて、
物心ついた小学生のころからなんとなく家に居づらかった。
たぶん小学校の中学年位から毎日のように友達のお家におじゃますることが多かったことを記憶しています。
わたしが誰か友達を自宅に連れてくることはめったになかったけれど、反対におじゃますることが多かった。
一緒に話したりボードゲームやトランプしたり本を読んだり勉強したり。
泊まることもありました、楽しかった。
夜は人恋しくて寝れなくて、友達んちのお母さんの隣に寝たこともあった^^;
うちの母親は一緒に寝てくれないひとだったので驚いた。
中高生になってもわたしは友達の家に行くことが多くて、一緒に試験前、勉強をするのが習慣でした。
ひとりで集中して勉強することが苦手だったこともありますが、誰かのお家におじゃますることでずいぶん精神的に救われたことはいまでもおぼえています。
一種のシェルターみたいですね^^;
いまの子どもたちにもそんな子どもがいるのではないだろうか。
わたしの両親はわたしたち姉弟を叱りつけることはありましたが、手を出す、暴力ふるうなどはまったくされたことがありません。
ただ、わたし自身なにか感じることがあって、子どもの頃、自分の家にいることがしんどいときがあった、それだけ。
友達の家に行って友達の家族や家の中を見ることで刺激になったり影響されたことはまちがいない。
お医者さんの友達のお家に行って銀食器でカレーライスを出していただいたときなど、こんな生活があるんだ、と驚いた。
友達の家のたたずまいや家族、うちの家と違うところを見て、いろいろ思うこともあった。
わたしは地域の友達、みなさんにも育てていただいた。
「友達の家に遊びに行ってはいけない」ことのデメリット
親に黙って友達の家をたずねるのは迷惑かける、そこで出されるお菓子や飲み物に健康上問題があるかもしれないから友達の家に行かせない、という理由もわからないでもない。
だったら子どもが親に許可を得て、親同士連絡を取ってから遊びに行けばいいし、そこで出された食べ物が食べられないのなら自分でしっかりていねいに断ることを約束させれば問題ないのでは?
そういうことも親子にとって人生経験かなと思うのですが、そういう浅い問題ではないのかな。
友達と話したり遊ぶこともそうだし、その子達の「家におじゃまする」ことがわたしという人間形成に大きく影響したのは間違いのない事実。
いろんな家庭=外の世界を知ることができなくなるのは人として寂しくかんじる。
井の中の蛙、視野が狭すぎる人間に成長しないだろうか。
こんな心配は無用ですと言われそうだけど、日本の子どもたち、個性豊か、深い人間に育ってほしいなぁ。
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